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学報告

イタリア留学記

平成15年卒 髙田 雄介

平成23年5月下旬より、イタリア(ピアチェンツァ)にて中耳・頭蓋底手術の研鑽を深めるべく、グルッポ・オトロジコ(Mario Sanna先生)へ留学させて頂いております。


手術室での一コマ。
5月当初、海外からのフェローは長短期を含めて実に13名(マレーシア、チュニジア、オランダ、スペイン、ヨルダン、レバノン、トルコ、アメリカ、オーサカ、トットリ)。国際色豊かな面々に、食後のランチの会話のネタでさえ困ってしまう生活でした。加えて、アメリカ人は勿論ですが、オランダ人が絡む英会話はまさに淀みなく、あらためて英会話能力の稚拙さを実感致しました。

ここグルッポは、まさにピアチェンツァにおけるリトル・ニューヨーク。フェロールームは人種のるつぼで、院内を歩く度に、外来患者の注目を集めるのも日常です。

マレーシアや中近東諸国では、国内・国外問わず、頭蓋底手術センターで1年(もしくは2年)の研修を終えない限り、自国の頭蓋底手術には関われない制度があるようです。そのため、彼らは滞在期間をきっちり満了するという明確な目標をもっています。ベトナム系アメリカ人からは、サイゴン陥落の後、ボートピープルとしてマレーシアへ逃亡。その後、アメリカへ渡り、耳鼻科医となった経歴の持ち主。持ち前の快活さとは裏腹に、当時3歳だったにもかかわらず、観光用ボートで漂流した事をありありと覚えていると語っていたのが印象的でした。


国際色豊かなフェローと共に。
フェロールームにて。
チュニジア人は軍隊所属の脳外科医。公用語であるアラビア語以外にも、フランス保護下にあった歴史的背景からフランス語、英語、イタリア語を駆使する英傑で博識。原爆開発へ加担した研究者ノイマンの名前を、私は彼から教わりました。また職業柄、大変なことも多く、8月は一時帰国し、リビアからの避難民のうち、頭部外傷患者などの手術をチュニジア=リビア国境にて行っていたと伺いました。

ヨルダン人は30歳。2年のイタリア生活を間もなく終えて、ようやく帰国できる直前。レバノン人とともに、帰国できる日を指折り数えて待っているような状況でした。

オランダ人は、国元ではかなり知名度の高い先生なのか、短いイタリア滞在期間中も、論文執筆の傍ら、主催する学会のパネリストをオーガナイズしていたり、スイスでの解剖実習の講師として招聘されたり、多忙な毎日を送っていました。この先生がフェロールームにいる間は、自ずと私語厳禁なる雰囲気も醸し出され、色んな意味で勉強になりました。

また、オーサカ人(またはカンサイ人)の気質はよくイタリアに馴染むというのも、今回、新たに発見した新事実でした。

その後も入れ替わり立ち替わり、現在は上海から1名、インドから1名が加わり、私自身も次第に古株の仲間入りです。

さて、肝心の仕事の話ですが、過ごす時間が長くなるにつれ、ようやく執刀機会が増えるようになり、また体当たりではありますが、論文執筆も書き始めるに至りました。どこまで出来るかは分かりませんが…、というのも言い訳がましいですので、今回は、『英語の論文を最低ひとつ』を目標に頑張っていきたいと思っております。

もし何かの折にイタリアにお越しになることがありましたら、是非お気軽にお声を掛けて頂きますと、とても嬉しく思います。