学生・研修医の方へ

HOME  >  先輩からのメッセージ  >  高次修練に参加して

輩からのメッセージ

加藤 健吾

1、高次修練に参加した時期

1998年5月

2、主な高次修練コース

東北大学で頭頸部癌チームと濃厚研修コース

3、高次修練の思い出など自由にお書き下さい

私は現在、頭頸部癌を主要な専門分野としていますが、当時考えていた進路としては、一般外科研修をした後に、呼吸器外科、形成外科、そして耳鼻科(特に頭頸部癌)等を考えていました。そんなつもりで頭頸部癌診療を中心に東北大学で研修をしました。

その時お世話になったのが朴沢先生(現社会保険病院)のグループで、鈴木直弘先生(現鈴木耳鼻科)、松浦先生(現宮城県立がんセンター)、中野先生(現みみはなのど富沢クリニック)、近藤先生(現しばた耳鼻科)そして入局直後の小川先生(現東北大)、沖津先生(現労災病院)等の分かる人には分かる、超濃厚な先生方でした。4週間の間、研修医同様に朝から再建手術の術後管理まで教えて頂きました。

当時は頭頸部癌の再建手術は12時を超える事も当たり前でしたが、がっちりと術後管理をして、その後はいつも飲み会でした。当時はどこにお金があったのか飯代も潤沢で、再建手術の日は、昼はいつもfoundersの中華御膳(1600円)、夜はまるたんの牛タン弁当・テールスープ付きでした(飯代はその後急速に枯渇し、半年後には400円の生協弁当になったとのことです)。

その他にも、秘書さんや病棟看護師さん達ととにかく飲み会ばかりしているという印象で、「耳鼻科は飯もうまいし飲み会も多いし、秘書さんも美人で楽しいなあ~」と思っていました。

その一方で、松浦先生を筆頭に、各先生には大変良く教えて頂きました。松浦先生は今でも十分以上に熱いのですが、当時は国立がんセンターのレジデントを終了して帰ってきた所で、今思っても火を噴くような情熱でした。そんな所がいいなと感じていた当時の私は、少しマゾだったのかもしれません。

そんな硬軟両面で、非常に楽しく4週間を過ごしました。他の高次修練では暇で楽な所も回りましたが、結果的にはさほど充実感は感じられませんでした。

結局私は、その後の国分町攻撃に負けた事もあり、外科研修もせず(当時、初期研修は義務ではなかった)、卒後直接耳鼻科に入局しましたが、今も選択は正しかったと感じています。

勿論、高次修練は入局を前提としたものでは全くありません。自由度の大きい(そして責任も伴わない)学生の内に、少しでも興味がある分野で濃厚に研修してみるのも楽しいと思います。

こう書くと誤解されそうですが、耳鼻科はライト系から濃厚系まで様々な研修が可能です。私は濃厚系担当ですのでよろしくお願いします。